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久しぶりの「鶴見川ウォーク」

 

いつも薬師池公園の写真を送ってくださる三田会のSさんと友人の稲門会のWさんと3人で、6月1日(日)、鶴川から鴨居まで、鶴見川沿いを歩いてきました。鶴見川は、2022年12月から2023年4月にかけて、源流から綱島まで5回に分けて歩き、それ以来、久しぶりのウォークとなります。

 

午前9時に鶴川駅を出発

昨日までの雨も上がり、今日は絶好のウォーキング日和! 3人そろい、午前9時に鶴川駅を出発しました。

小田急線に平行して玉川学園方面に西進し、鶴川駅前やすらぎ公園を左折、踏切を渡ってしばらく歩くと、鶴見川が見えてきます。

その鶴見川に架かる川井田人道橋(かわいだじんどうきょう)を渡ると、東流する鶴見川の南側(右岸)は、川崎市麻生区「岡上(おかがみ)」となります。

岡上について

岡上は、三方(西・北・東側)を町田市に、南側を横浜市青葉区に囲まれている「飛地(とびち)」です。
昭和14年(1939)、前身の岡上村に横浜市と合併する動きがありましたが、その際、岡上村が柿生村とともに川崎市との合併を選んだことから、飛地となりました。
さて、鶴見川の流れに沿って東進すると、再び町田市に戻り、またすぐに川崎市となります。これも飛地周辺の複雑な地域事情なのかもしれません。

鎌倉街道

しばらく歩くと、本村橋(ほんむらばし)を通る道と交差します。
その道を右折すると、鬱蒼とした屋敷林の中、右に左にカーブする緩やかな上り坂が続きます。いかにも古道といった感じです。
はい、そうです。この道は、鎌倉街道「早ノ道(はやのみち)」といわれ、鎌倉街道「上ノ道(かみのみち)」の多摩市貝取付近から「中ノ道(なかのみち)」の青砥(現在の横浜市緑区中山)付近を結ぶ近道とされ、元弘3年(1333)の鎌倉攻めでは、新田義貞(正安3年(1301)~建武5年(1338))の軍勢が駆け抜けたといわれています。
鎌倉時代、「いざ鎌倉」ということで、各地から鎌倉へ向かう街道(軍事道路)が通じ、町田市にはその面影が随所に残っています。

東光院

上り坂を上りきると、真光寺長津田線(東京都道・神奈川県道139号)と交差し、そのままその先の坂道を左にカーブしながら下っていくと、左手、生い茂る木々の中に東光院(川崎市麻生区岡上)という真言宗系の寺院があります。
麻生観光協会HPによると、東光院は、鎌倉街道「早ノ道」に向かって東向きに建てられ、それが寺院の名の起源になっているそうです。
本尊は大日如来像で、行基菩薩(天智天皇7年(668)〜天平21年(749))が関東下向の際、鶴見川から東の岡の上に光るものを見て、草庵を建てたのが始まりとのことでした。
木々が生い茂る入口から境内に入ると、そこは世俗を離れた別世界のような空間でした。ちょうど読経が始まり、静寂の中に鐘の音が響きました。

真光寺川との合流点へ

東光院を見学後、さらに坂道を下ると、前方に鶴見川に架かる岡上橋が見えてきます。その岡上橋を渡ってしばらく歩くと、真光寺町を水源とする真光寺川(しんこうじがわ)との合流点です。
鶴見川はその流路の至るところで、大小さまざまな支流が流れ込んでいます。例えば、町田市を流れる恩田川は横浜市緑区青砥町付近で、矢上キャンパスの北側から日吉キャンパスの東側を流れる矢上川は日吉の南でそれぞれ鶴見川に合流しています。
ここ真光寺川との合流点は、「開土(かいど)親水ひろば」という名称で整備され、階段を下りると、間近で鶴見川の流れを楽しむことができます。これからの季節、子どもたちの格好の遊び場になるのではないでしょうか。
われわれも最初の休憩をここでとり、しばらく鶴見川の流れを眺めていました。

精進場橋

引き続き鶴見川の左岸を歩くと、川崎市から再び町田市に戻り、精進場橋(しょうじんばばし)(町田市三輪町)に到着します。
ここは、江戸時代に盛んとなった大山詣りの際、身を清めて雨乞い神事をしていた場所といわれています。
鶴見川にはこのような場所が他にもいくつかあります。

鴨居に向かって

精進場橋を後にして、子の神橋(ねのかみばし)、四ツ木橋(よつぎばし)を過ぎ、麻生橋(あさおばし)の手前で町田市に別れを告げると、また川崎市となります。
その後、横浜市に入り、青葉区市ヶ尾町、都筑区川和町などを経由し、JR横浜線・鴨居駅に着いたのは午後1時半、全行程4時間半、約15㎞、およそ2万3千歩の「鶴見川ウォーク」となりました。

ウォークの後はやはりこれ!

鴨居駅南口の居酒屋でビールと日本酒でエネルギーを補給、今日のコースを振り返り、次回ウォークの計画を立てました (^^)/(TT)